情と論理の狭間
上に立つものが情全開でぐだぐだになっている話
あっという間に TOKYO2020 オリンピックが閉会を迎える。
コロナ対策でバブル方式で市中と分ける話だったが
街中で関係者のタグをぶら下げた人は見るし、
こんなところ外国人歩いているの初めて見た
ってシーンもあった(ルール上良し悪しは知らん)
文春がおもてなしだという記事を書いている
取材した人のボランティアは
担当した方々のご要望には柔軟に対応するように言われています
だそうだ。
「柔軟」ってとっても使い勝手のいい言葉
ビジネスの場でも柔軟な対応をしますとか良く言う。
これ、対応する時って、どう判断するだろう?
人それぞれではあるけど、100%論理で判断するって人はいないだろう。
どこかで、
あーこの人困っているしなー
ここで恩を売っておけば株があがるぞ
後で怒られるのも嫌だしなー
とか、何かしら感情が混じって判断しているんじゃなかろうか?
日本のコロナ対策は論理なのか?
オリンピックもそうだけど
日本のコロナ対策は、論理が先に来ているのか?と
不思議に思うものが多い気がする。
アベノマスクだったり
Gotoキャンペーンだったり
飲食店営業自粛・短縮だったり
蔓延防止措置だったり
銀行からの圧力で時短営業要請だったり
決定した人しか分からないものがあるのかもしれない。
じゃあ、それを説明しないで
安心・安全を目指すとか
言っても納得感が無いんじゃなかろうか。
ちなみに、100%政府の対策に責任を押し付ける気にもなれない。
自分の行いを棚に上げて医療崩壊だと言うだけの日本医○会とかもあるし。
情にあふれる世の中
会社組織でも似たようなもんだろう。
人間関係を円滑にした方が上手くいくというが
会社は仲良しクラブではないということ。
仲良しクラブならば、かわいいとかかわいそうとか良いけど
会社組織は多少なりとも利益を出さないといけないので
そのために論理(ルール)が最初にあるもんだろう。
そういうご時世なのか、識学というものが広まっているらしい
内容を全面的に賞賛するわけでもないが、
一定の緊張感が存在する空間を作るという視点で読む本。
仕事終わりに飲みに行くぞっていう人、情満開の人には抵抗感あるだろう。
それぞれの役割を最大限発揮するためで、得意なやり方ってのがある。
でも、上に立つ人間が情だけだと救いが無い。
P.S.
反対の視点でこんな本もある