サラリーヒューマンの活きるつぶやき

大企業が安定しているというのは幻想になりました。ブラックとかハラスメントとかいろいろあります。会社で活きることは単に与えられた仕事をやることではありません。AIなんて出てくると単純なことは人がやらなくなります。そんな環境で活きるきっかけになればと書いています

自由ってなんだ

日本学術会議の推薦候補を一部任命見送りをしました。

news.yahoo.co.jp

jp.reuters.com

学問の自由を保障する憲法に違反するとの批判も出ています。

いろんな意見が出ています。
日本学術会議の存在意義を問う意見もあります。

日本学術会議が何をするのか、私知りません。

 

でもね、
学問の自由を保障しているのは日本国憲法
日本学術会議は、行政が組織したもの。
そして行政を担う政府が任命しなかったことは
果たして不自由なんだろうか???
(政府の判断基準が分からないとか、
前例がないとかそういう事情は抜きにしてね)。


自由は2つある

Webサイトで JOG(Japan On the Globe)というのがあります。
自由というテーマで9月27日に記事が出ました

 

blog.jog-net.jp

この記事によると、自由という言葉には2つの概念があるといいます。

 

1つは、西暦700年代に存在している書物にある自由という言葉。
自分の判断でできるというものです。
もう1つは、西洋のfreedomに端を発していて、
奴隷、苦役、懲役、原罪からの開放というもの。

どうも明治時代で、西洋の freedomを訳す時の選らんだことが始まりらしい。

 

日本は他国に侵略された歴史が無く
逆に侵略により現地民族を奴隷にしてきた西洋だからこそ
国交が大きくなった明治時代にやってきたという話なんでしょう。


自由と枠

日本学術会議の学問の自由云々とかいうのは、
この西洋由来のものなんでしょう。

過去の西洋の侵略の歴史からみても、
freedomって特定の枠から解放されること。
とはいいつつ、別の枠にとらわれます。


西洋諸国に侵略された人々は、解放後に何が起こったか。
多くは、国を作って、場合によっては内戦が発生していませんか。
何だかんだいっても新たな枠が発生しているのが現実。


それが自分にとって良くなったかという
判断以上のものは無い気がします。


会社勤めのサラリーヒューマンって、好きな時間に好きな場所で
仕事ができるという生き方とか触れると、いーなーとか思ったり
することがありますが、そういう仕事をしている人にも必ず枠はあります。

身近で且つ最大であるのは国です。
GAFAに代表されるボーダレス企業とかありますが、
完全に国の枠から外れたわけではありません。
(国同士は基本的には、利害関係でしか成り立ってないですね。
最近では、米中対立なんて利害以外に動機はないですね)

日本の自由

一方で日本古来の自由とは自分由来に端を発しています。

前述の記事からの引用ですが

松は竹にならず、竹は松にならずに、
各自にその位に住すること、
これを松や竹の自由というのである。・・・

自分らしさってことですね。
そして、それぞれの自由が交差して新しい自由が生まれるといいですね。


P.S.
今まで、自由っていう言葉ですっきりしなかったのですが
これで1つすっきりしました。